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novel, essay, poetry, criticism, diary

あいつと俺 Part2

他者達は恐らく誰にとっても俺にとっては全てと言ってよく、正に俺達自身の心の中で俺達自身の鏡を大切にすべきなのだ。そして俺達の周り そして、特に普通の男には、勿論現代世界では、或いは職業女性もそうなのだが、実際のところ、俺達にとって、特に殆ど敵みたいに俺達に批判してくれる奴が居たなら、とても貴重なのだから、大切にしなければいけないのだ。その本当に厳しい毒舌を吐く人こそ俺達にとって最も貴重なものでなければならん
。本質的に、唯一堅く率直な反対、異議を説く人達の異常に率直なメッセージと拒否が私たちを鍛え、私たち自身の能力を強化するに違いないし, もし誰かがそんなに強い敵を持つことができれば、明らかにその脅威と共に居る事が私達に全盛期を用意するのであって、誰もがそんなに厳しく、率直にどんな礼儀を超えて批判することができれば、最も危険で非常に悪い場所にいなければならない、にもかかわらず、意外にも自分のことはとても楽しくすることができ、非常に居心地良い状態に突入することができる、でもそんな刺戟が一切無いんなら、実質的に精神的に崩壊した状況は日常生活を大洪水に見舞わせるし、そんな環境は、弱った力しかない状態の後に地獄に入るのに十分な力を持っているのだ。 俺達は、非常に虐待的な言葉の応酬、爆弾発言だけが、俺達を至極健康にすることができると判断できなければならず、それさえ片付けば後は殆ど何も大変なこと等ないのだ。




俺達はとても頑丈な敵に囲まれている場合、最終的に皆の社会は、誰にも何らかの試金石であるに違いない、俺達の精神と考え方にしてみれば、だ。




俺はこの俗なる世界の真実で幾つかの非常に正直な発言をしてみよう、それは承認されたものに不必要に送る拍手が私たちに最悪の、とても危険な破壊的な悪魔を用意するのに
違いないということなのだ。それはどんな社会でも簡単に見ることが出来る!




それによって俺は、自分の生涯で最も酷く扱われた場面を覚えていて、時々思い出すと、却ってそれを微笑ましく思えてくるのだ。それへ唯一の歓声を俺は与えることさえでき、あらゆる種類の拍手および無条件の賞賛を与えることは世界のどんな優秀なものでも結局は無力なる者にその者をしてしまうのだ、という感情さえ今なら持てるのだ。





(続き)




1月27日 2021