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我々は如何にして<自分自身>に問いかけていくのか?Part1

人生なんて最後は主観、他の何物でもありはしない、さもなくば、君は何も知らない侭で、俺も又何も知らずにいる、今の処ってことさ。


正直俺は自分が幸福なのか不幸なのかなんて一切人に評価して欲しくなんてない、そんな公的規準になんて、俺を当て嵌めてなんて欲しくなんてないぜ。結局そういう考えにいつも落着するって訳さ。君がどうかは知らないけどさ。


人様からあいつは巧くやりやがったとか、とんでもなくしくじっちまったとかさ、何か公的規準でもってそんなふうに評定なんて一切して欲しくはないもんだぜ。もうそういう問いかけ自体を自分の気持ちから追い払っちまいたいんだよな。分かるだろう?


何であれ、自分自身に対してならさ、自分は自分以外じゃないんだから、それしかない訳じゃん、そう、何事もなる様になるもんさ、って言うかさ、何でもそれであるしかなくってね、結局それだけが真実って言うかさ、そんなもんなんだろう。


でもさ、厄介な事には、なるべくしてなる一種の運命って奴もさ、これがとんでもなく誰にだって、そうなっちまったら、それなりにスゲーきついんだよな。よく心得ている事と、実際にそうなっちまった事との間にはとんでもない壁は在るもんさ、誰にでも。皆そうやって自分の運命にのたうち回るもんなんだよ。最後は結局そういう考えへと落着するんだよ、俺はさ。そのとんでもない現実と考えの間の亀裂に、その収集がつかない様を巧く収める術なんて誰にもなくってさ、結局後の祭りだって、もうすっかり落ち込んで凹んじまって、愚かにもそうやってへたり込んでしまうことってあるさ、俺にだって。でもだよ、そういうのって人にそう言いふらせないもんさ。だから当然俺も、そういう時はすっかり諦めちまうこともあるもんさ。でも片っぽではずっと忸怩たる思いもずっと引き摺っちまってさ、そのこと自体はやっぱ空しくもあるさ。虚無的気分になってしまうとさ、もう一人の俺が冷ややかに別の角度から俺をじっと眺めていやがるんだよ。そんな滑稽で愚かな俺をもう一人の俺がさ、じっと見つめて居やがるんだよ。で、そいつはいつも俺を変えたいって思ってるのさ。でもまた別の俺はそのままにさせておいてやりたいって始末なのさ。


本当は誰にだって自分って奴はどんな奴か分かっちゃいるんだよな。だけどさ、それはどこかですっかり匿名的な自分みたいなもんでもあってさ、そういうシラケ切ったある種の型に対して別の自分は怒り心頭に発してさ、そのもう一人の自分って奴は始末の悪いことに、そういう自分をせせら笑っているって始末さ。


でもそんなことしてたって何の進歩もありはしないさ。で結局同じ一人の自分の中にはさ、幼い自分、未来に夢を持った溌溂とした青年の自分、後はもうすっかり老成しちまった自分も居るのさ。でも結局どいつの自分も喧嘩もしなけりゃ、力を合わせて行こうって言う訳でもありはしないのさ。


そうこうしたって、結局答えなんて出ない。そんな自分を冷ややかに見放して、感化させもせず、接触しもせず、もうどうにでもなれって、禁酒を止めて飲み呆けてみたりさ、でもそうしたって一向に楽しくなんて一度もなかったもんさ。只孤立した自分が叫んでる。お前には主体性も自主性もないってさ。にも関わらずそうしているとどこかすっかり取り乱した自分の心が救われる、そんな気分にもなれるんだから笑っちまうぜ。分かるだろう?


(つづき)


2021年11月27日