Blog for Nameless-Value

novel, essay, poetry, criticism, diary

ロックの時代は終わり、別の時代が始まっていたのだが...

非常に寒い最後に残った冬の苦渋に拠って必然的に漏れる呻き声は、私たちの進行を躓かせる様な精神的な気分を心の中で、僕ならよく分かる、既に別の時代が大分前から駆動させられているにもかかわらず、多くの正確なものは、過ぎて去って行っても私の心の中で回想することができ、新しい時代の叫びの様な勇敢な多くの産声が私の心に届いたけど、同時に全てのそれらの日々からまた別に引き留めようとする叫びを、僕は見捨てていく事はできませんでした、あなたにもお判りでしょうけどね。


でね、その結果、そんな昔の私の純粋に心に抱いていた感情は、私の記憶の中で再現することができ、それらは決して単なる紛い物でも錯覚でもなかったのですよ。
私の愛好できるものの傾向はひとえに世界の多くの若い世代のプロの天才によって新しく作り出されて、歌われたラップソングとエコーすることができ、私の信条と主義の様な考え方では、確かに寧ろ完全に未来の希望の心と今目の前の事に対処することが最も重要ですが、精神的に、今も完全に過去のことを強く私の心を引き付けることもできますので、突然何の前振れもなく、私は貴方を見て、私の心で、非常に若い日に、私はビートルズの解散後のポールのソロの日々を憧れて、ベン・フォールズも歌で取り上げていますけど、当時の彼の妻リンダを応援していたんです。 私にとってあなたの登場は一瞬だったのかもしれませんでしたが、正確に今も思い描き再現する事も出来ます。それは冬の終わりを告げる最後の強い力みたいなものかもしれませんが、決して終わらない様にしたいと思っています。当時の私の全てのアイドルのロックスターと私の読書の本の様なものとしてです。私が心から反応したことを巡る記憶は、それ自体だけでなく、私の心の過去から跳ね返る力は、本当に引き寄せられた新しいテーマよりも強くなる可能性があります。そして元々イデオロギー的私の心の跳ね返りは、私の思い出に拠る心の跳ね返りよりも強くなる可能性があります。自らに拠って新しく作動させた新鮮な本物の考え方とやる気を起こさせてくれる心のテーマは、過去を思い返したされたものよりも不可欠には違いないのですが、にもかかわらず、寧ろ本当に野心的に取り組んだ新しいテーマと傑作はそれよりも重要で、私はそれをよく知っているにもかかわらず、本当に逆説的にも完全に昔の懐かしい思い出に纏わる心の働きはとても今喝采する事が自然に思えるんですし、そんなことは常に決して稀ではありませんでした、それは一つの真実なんです、お分かりいただけることと思いますけど。


若い人達とは、私等よりも当時の事であるなら自然に多くを知ることができなかった筈ですし、私は彼らに非常に多くのメッセージを送信していきたいなという気持ちを持てたんですけどね、当時はそれはたまらなく新しく作成された素晴らしい傑作だったのだし、私達の世代の者が念頭に置いて記憶しているのは当然なんですから、古い時代にあった噴水を皆さんに受け渡すこともできると思うんです。


しかし、最終的に私の心では、今日に於いて、誰もに拠って根源的に考えられる概念や主義主張的考えが最も重要でもあり得ますが、それと同時に、そのことに関してだって、今迄に演奏されたり歌われたりして、昔々私が日頃から慣れ親しんで聴いていたお気に入りのもののメッセージにも含めることができますから、結局はいつも何かの周りに、私の心にいつでも非常にランダムに寧ろ無差別に、そして完璧に気まぐれに、ぼんやりと灰色の白くなった空の周りを飛んで、丁度、そう静かにこれからだって明るい春の晴れたそれらの追想的なニュアンスが突然立ち現れる可能性があるんですよ。


それにもかかわらず、私の生まれた日と育った年齢は確かに20世紀であり、私達の世代の者もいつか死ぬ様に全ての同世代の人達が死ぬ迄は、20世紀は決して死に絶えることもないんですよね、それも又別の真実です。
しかし、同時に、どの世代の人達から齎される私がやっていることに対するリアクションも、私の創造的な動機づけられた心をとても励ましてくれていて、実際には、非常に純粋に練られて考えられたアイデアと洗練されたイデオロギーはとても貴重ですが、同時に、その場凌ぎのものとして即座に調合されたものもとても貴重なんです。洗練された概念的なアイデアとその心を固定する事は非常に切実であるだけでなく、非常に重要であるので、一瞬心に浮かぶ様な発見に満ちたアイディアを渡す事もまた別にできるのか、そう言うこともできます。


言い換えれば、どの年齢でも、より年上でも、若い世代でも、何らかの形で一緒に何かに於いて擦れ違い交差しなければならず、一人の心と脳では、相互に他のものと交換できないようななアイデアは、自分の思考のどの領域でも走り回って徘徊することがあります。バランスのとれた、または統一されたものだけでなく、余りにも矛盾しているのにもかかわらず、それがとても貴重である可能性があります。言い換えれば、私たちにとって貴重なものだけでなく、小さなものだけでなく、取るに足らぬとしか思えないような些細な事も、恐らくどの個人にとってもとても個人的心情に於いて否定されるべきではありません。


言い換えれば、完成したアイデアや洗練された考えられた主義主張等だけでなく、不完全なものや未精製の荒削りな提案等さえ、私たちの心で決して拒否されるべきではありません。


とにかく、私たちが試してみたいものに関係なく、私達の心と本当に留意している現場の外観は、本質的に直感的で不可欠なものだけでなく、埃や小さなバグ的な錯覚、またはガラクタの様なものの様に無駄と単に見做されるけど、それらも又相互に交差し合うものだし、最終的にはこれら全てが複雑に組み合わされてそれぞれ異なって完成したフォームは、それぞれ瞬間的な私達にとっても貴重な存在であるに違いないのです。 誰も洗練されたものでも完全に綺麗に配置されたものでもない出会いを持つことができ、しかし、結論としては、非常に厳密に短い詩を選択したので顧みられずに終わるにせよ、迂回的なニュアンスで作られるおしゃべりの騒々しい音は、計画された調和された意図によって既に分離することはできないものだった筈なのです。


そうです、私達は端的なオプションと優柔不断の両方を必要とし、お互いが人工的に毅然と際立っているので、いつでもいずれかを排除することはできませんでした。


正に、貴方が知って行っている、広角度に視聴してみる心の受け止め方と関心や好奇心、私達は期ある毎にに貴方がその捉え方をする仕方を知っていると当たり前の様にそう思えるんです。


願い続けます、貴方が必要とする絶好の機会に於いて最高のパフォーマンスと、貴方自身が何等かの事によって必要とされている、私はいつでもずっとあなたの成功した人生を願い祈ります、アーメン!




2022年3月29日